2017年12月12日(火)
  • 大宮駅東口前より大栄橋までの約300メートルの商店街です。

大宮銀座通り商店街とは


大宮銀座通りの誕生

rekisi_eki「大宮銀座通り」は大宮の東口駅前より大栄橋までのその間約300メートルのアーケード商店街です。
この銀座通りは昔は「川越新道」と呼ばれていました。
明治18年(1885年)3月16日に紆余曲折の末、大宮駅が誕生し、 戦前の大宮は鉄道と製糸の町と言われていました。


rekisi_toori戦争の末期、昭和20年4月(1945年)に宮町一帯が空襲でやられ、それで「今度は大宮全体がやられてしまうのではないか」との心配がありました。
そのために、建物の強制疎開が始まって駅周辺の様相が一変しました。
しかも強制疎開をさせたままで終戦を迎えることになり、その後が大変でした。
道幅は現在のように広くはなったものの、雨が降れば田圃のようなドロンコ道、それが舞い上がって店の中が真っ白になるという状態で、とても駅前商店街の道路とはいえません。
そこで、市当局と道路整備の交渉をするために、まず各商店街が結束する必要があるということになり、昭和22年に「共和会」という会ができました。
この会は今の「大宮銀座通り」のほかに、「住吉通り」昔の「御影堂横町」の一部を含めた大所帯でしたが、道路を舗装したばかりでなく、車道と歩道を区別した商店街にふさわしい立派な道路を完成させました。
しかし、そうなると、いつまでも「川越新道」というよその町の名称を使っていたのではこれから発展する商店街に適切ではないということで、その結果生まれたのが「大宮銀座通り」 という名前でした。
rekisi_rotary大宮の代表的な商店街のイメージを持つ名前をつけようということで、正式に「大宮銀座通り」というようになったのは、昭和22年からです。
そして東京の銀座ではないけれど、「街路樹には柳がいい」、ということで、当時この通りに柳が植えられて商店街らしい落ち着きを取り戻したわけで、終戦の混乱期にもめげず、商店街はなかな活発でした。
「大宮銀座通り」は長い伝統の中を培われた良い点を生かしながら、発展を続けてきました。
中山道の宿場大宮宿が鉄道と製糸の町として生まれ変わった明治時代の大宮町、商業都市として発展をとげる大宮の中で、「大宮銀座通り」は歴史の重みを刻みこんで、歩んできたわけです。
そうすることによって、いつでもお客様に喜んで頂ける商店街として、お客様と共に生きて行く、それがこの商店街の心意気だと思うのです。
 
<昭和49年発行「大宮銀座通り80年のあゆみ」より>